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飫肥杉の歴史

飫肥杉の歴史

1587年に飫肥(28,000石)に封ぜられた伊東市は、藩の窮乏を救うために、1623年頃から山野にスギの植林(挿木造林)を始めた。これが飫肥林業の始まりといわれている。

最初はなかなか事業が進まなかったが、希望者に領地を貸して、その種益を折半する部一法(5官5民)が1723年に施行されて以来、植林面積が増加しはじめた。

その後、さらに事業推進するために、1官2民、2官8民、3官7民生制度が取り入れられたこから、ますます藩民の造林意欲が向上し、山林からの収益が藩の財政を大きく支えるようになった。

このような中、石那田実右衛門や野中金右衛門父子等の指導が輩出し、特に、野中金右衛は1796年に杉方役を命ぜられるや、生涯、造林に務め、杉方、植木方として50年間に約1,000haを植栽し、飫肥林業の基礎を築いた。

また記録をよると、江戸時代の1853年山口県の大畠と弁甲取引を始めるとあり、大経木を和船建造用材として瀬戸内地方等へ出荷することにより発展してきた。

従来、ha当り1,000本程度の疎植が行われていたが、近年弁甲材の需要が減少してきていることから、建築用材生産への転換を図るように造林補助交付金対象植付け本数を1年生苗2,5000本/ha、2年生苗1,5000本/ha以上に設定するとともに、枝打ち、間伐を行うように指導されている。