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幸島

幸島は日本で最初に猿が海水で芋を洗って食べる研究がなされた島です。

幸島は、宮崎県の最南端である都井岬の近く、日向灘に面する小さな島です。この島には、昔からサルが住んでいました。いつごろからサルがいたのか、それは全くわかりません。言い伝えでは、源平合戦の後でこの島に平家の祭神を移した時、ひとつがいのサルを守護者として置いたといわれています。大正12年、当時の東北帝国大学が行ったアンケート調査にも、幸島には90頭のサルがいて、毎年20頭ぐらいずつコドモが生まれるという回答がありますから、かなりの数のサルがそのころからいたことは確かです。その後昭和9年に、ニホンザルとしては初めて天然記念物に指定されました。

ニホンザルの餌付け

第2次世界大戦が終わってすぐ、京都大学が幸島でニホンザルの調査を開始しました。最初は都井岬で野生馬の調査をしていたのですが、いつのまにかすっかりサルの調査が中心になってしまいました。サル社会の研究が急に進んだのは、餌付けがうまくいったからです。餌付けというのは、人間が餌を与えることによって、サルの警戒心を取り除き、自由に観察できるようにすることです。特に幸島では、戦後の一時期、米軍の司令官にペットのコザルをとどけようとして、ずいぶんサルを鉄砲で撃ったそうです。ですから、最初の頃はサルをどんなに追いまわしても、すぐに山の中へ逃げてしまって、見ることさえほとんどできなかったのです。

昭和27年に餌付けが成功して、幸島のサルたちが人間の前に姿を現した時、20頭のサルがいました。研究者はこれら1頭1頭に名前をつけていったのです。例えば、初代のボスはカミナリオヤジのようだったので「カミナリ」と名付け、いかにも将来性のありそうなきびきびしたワカオスには「ヒヨシマル」、わがままで怒ってばかりいるメスには「ウツボ」といったぐあいです。この方法は個体識別法と呼ばれて、今では動物の研究にごく普通に使われています。当時は、動物が人間のように1頭1頭違った個性や社会的役割を持っていることなど、誰も考えていなかったのです。ニホンザルの研究が、動物社会学として独自の発展を遂げてきたのは、こうしたユニークな研究法があったからです。1頭1頭名前をつけてしまうと、誰が何をしたのか、誰がどう反応したのか、誰と誰はライバルだとか、誰と誰との仲がいいなどということが見えてきます。そのうちに、サルにはサルなりの社会があるし、サル社会なりの掟があって、掟破りもいる、そういうことがわかってきたのです。

サルの社会(ボスザル)

サルの群れを見に来たお客さんから真っ先にされる質問は、「どれがボスザルですか?」ということです。確かに群れの中には有力なオスが2-3頭いて、あたりをにらみまわして悠々としています。餌を見て真っ先に取りにくるのはこのオスたちです。普通、群れの真ん中で威張って餌を食べている、大きくていかつい体をしたオスを見つけたら、それがボスサルだと思って間違いありません。

ボスザルたちは、威張ってばかりいるだけではなく、その他にもいろんなことをします。特に犬などの外敵が襲ってきた時には、皆の前に出てその外敵に村抗します。だから、群れの中のコザルに手を出したりすると、ボスザルたちがとんできます。案外、群れの中のサルたちも心得ていて、ボスザルが近くにいると「キヤーキヤー」とわざわざ大げさな悲鳴を上げて助けを求めようとします。群れの中で争いがあると、小さいサルや弱いサルをいつもかばってやるのがボスザルたちです。 だから、ボスザルとは群れの中では一番強くて、頼られるサルのことなのです。

幸島では初代のカミナリが、昭和27年から昭和45年10月に死ぬまで、実に20年近くもボスザルとして君臨しました。これはボスザルの在位期間としては世界最長の記録です。カミナリは昭和27年餌付けが成功したころに、すでに立派なオトナオスでしたから、30歳以上にはなっていたでしょう。死ぬ間際には完全な失明状態になり、死後の解剖の結果から、脳軟化症にかかっていたことがわかっています。それでもカミナリの跡を縫いで2代目のボスになるセムシは、カミナリが死ぬまで決してカミナリを追い払うようなことはせず、2番目のボスとして行動しました。

どんなサルがボスになるのか、いまのところ定説はありません。幸島でも、この40年間で4代目までですから、まだまだはっきりしたことは言えません。ただおもしろいことに、順位の高い家系に生まれたオスの中からは、まだボスザルが出ていません。 メスの中で一番順位の高いものをメスガシラと呼んでいます。こうした高順位のメスの子供は群れの中にいる限り、いつも成張っていることができます。それはいつも母親の庇護のもとにあるからです。オスの子供もメスと同じように育っていくのですが、大きくなると群れから出ていってしまいます。そして、いつの日かまた群れにまいもどり、一からやりなおして少しずつ順位を上げていくのです。幸島での例を見る限り、高順位のいい家系出身のオスはどうもボンボンすぎて覇気がないようです。案外、低順位の家系に生まれたサルが、ちょっとしたチャンスをつかんでボスザルになっています。

力が強いだけではボスザルにはなれません。昔、初代ボスのカミナリがもう老年を迎えた頃、立派になったイカというサルが帰ってきました。イカは当時の群れにいたオトナオス相手に1頭ずつ争いをしかけ、ことごとくやっつけてしまいました。そして、ついにカミナリにまで挑戦したのです。明らかに体力ではイカの方がカミナリに優っていたのですが、カミナリも長い経験と知恵とを駆使して戦い、どうしても勝負はつきませんでした。結局、何年にも渡る長い戦いの結果、カミナリの死後ボスになったのは、2番ボスであったセムシでした。イカは争いではセムシに勝っていたのですが、群れのサルから受け入れてもらえなかったのです。さらに数年後セムシが死んだ時、ナベがボスになりました。ナベはイカと同じ頃に群れに帰ってきたサルなのですが、争いよりは子守りなどをして、群れのサルから受け入れられる方を選びました。昔、ナベもイカにかなわなかったのです。ナベの時代になって、イカはようやく群れの中に入りましたが、この時はもうすでに年老いていたのです。今ではゲシが4代目のボスザルになっています。ゲシのボスとしての在位期間はもう10年になります。(平成13年現在、5代目のケムシがボスザルです。)

日南海岸から都井岬へ向かう海沿いの道を行くと、それまでのごつごつとした磯の景色から一転して美しい白浜の海岸線が見えてくる。

猿の楽園、幸島が浮かぶ石波湾。波打ち際にはうっそうとした亜熱帯植物の森が、ちょうど防風林のような形で連なり、青々と葉を茂らしている。この森は、もともと松林だったのがマツクイムシにやられ、そのかわりにどこから流れついたのかさまざまな南の植物が自然に定着してできたという。黒潮がすぐ目の前を流れるために、一帯は日本本土でもっとも温暖な気候に恵まれているのだが、こうした亜熱帯植物の群生をみるとそれが実感される。宮崎市周辺などに生えているものよりも、一段と緑濃く、葉を輝かせているようだ。

昭和9年に『幸島猿生息地』として国の天然記念物に指定された幸島は、この森の沖合150メートルに浮かぶ周囲3.5キロ小さな島だ。もっとも高いところで113メートル。島のまわりは岩場がめぐり、島内にも平地はほとんどないが、ここにはサクラやイスノキなどの見慣れた温帯植物と、ハマカズラなどの亜熱帯植物が入り交じり、約270種の樹木が自生している。

そしてここの住人たち。京都大学今西錦司教授らの研究チームによる調査で、世界的に名を知られた約100頭の文化猿たちだ。古くから『和子様(わこさま)』と呼ばれ、神の使いとして土地の人々に厚く保護されてきた猿たちは、人間の姿に過剰な反応をすることもなく、平和な暮らしを営んでいる。

幸島の植物が、自然のままに豊かに茂っているのも、昔からこの島を崇敬し守ってきた土地の人々のおかげだ。

イモや麦を海水で洗い、あるいは味つけをして食べるような行動をする。いわゆる文化猿が初めて出現したのは1953年のこと。イモという名の若い雌の猿だった。その行動は、まずイモの家族や親族の間に広がり、やがて他のグループ猿にも及んでいくことになるのだが、ちょうど幸島の100匹目の猿がイモ洗いを覚えた時、不思議なことに、全国各地で同時多発的に同様の行動をする文化猿が出現したという。世に言う『百匹目の猿』である。また、一頭一頭の猿に名前をつけ、家系図を作り、猿たちのグループに密着して行動を観察する今西教授らの手法は、のちの動物行動学に大きな影響を与えた。幸島は、文化猿のルーツであるとともに、フィールドワークのひとつのルーツにもなっている。大分の高崎山をはじめ、猿の群れは各地で観察されているが、幸島の猿たちにはユニークな特徴がある。渡船で島へ降りてみるとすぐに気づくが、ここの猿は人の姿をおそれず、また食べ物をねだるということをしない。何頭か、ちょっと様子を見にくることはあっても、すぐに家族のいる岩場に帰っていき、あたたかな陽を浴びて遊んでいる

うっかり、猿のテリトリーに近づきすぎないように、距離を保っていさえすれば、あるがままに暮らす猿たちの姿を見ることができる。これは、人間の干渉を極力避けるという今西グループ以来のフィールドワークの考え方が、現在の観光に引き継がれているためだろう。研究は、京都大学霊長類研究所によって現在も行われているが、たとえば体重を計るにしても、決して猿の体に触れることはなく、エサにつられて猿が秤に乗るのを待つという気長なやり方だ。島に渡る観光客は、食べ物を持っていかないことになっており、おかげで猿たちは人間に無関心でいることができる

オオドマリの小さな砂浜で無心に遊ぶ猿、陽だまりに座ってうつらうつらしている猿、岩の上で毛づくろいをしている小さな兄弟。そうした猿たちに囲まれていると、この島の名前がいかにふさわしいものであるかがわかるような気がする。時が止ったような小さな永遠が、ここにはあるのかもしれない。

猿との接し方

∴餌を絶対に与えない

餌を勝手に与えることは、野生動物に村して悪影響しか与えません。まず第1に、ニホンザルの持っている本来の生活が、全く違ったものになってしまいます。そして、人間に依存する結果、人間なしでは生きていけなくなってしまうのです。第2に癖の悪い、人を見たら餌をねだるどうしようもない乞食ザルをつくってしまいます。その理由はここに書きました。第3に栄養条件が過度に良くなることによって、数が増えすぎてしまうことです。そうすると、今度は逆に人間の都合で捕獲せざるを得なくなります。

∴餌に見えるようなものは持っていかない袋包やバッグ等は、お菓子や果物などが入っているものとして、狙われるもとになります。島に渡る前に、どこかに預けるか車の中に置いてくるかしてください。特に貴重品はそうで、一旦サルに捕られてしまうとなかなか取り返すことができません。

∴あまり近づかない、いたずらをしない。サルにもサルなりの生活があります。じっくりそれを見るようにしましょう。可愛いからといってあまり近づきすぎたり、コザルに手を出したりすると、咳まれたり追いかけられたりして、事故のもとになります。人間だって、ゴジラみたいに大きな動物が近寄ってきたらこわいものです。ゴジラが愛想笑いを浮かべていてもです。

∴目線をはずす。

サルは目と目が合うと、脅されたと思うのか攻撃的になります。サルの目をじっとのぞき込むのはやめてください。
∴こわがらない。こわがって逃げ回ると、サルはますます調子に乗ってきます。サルは特に相手の心の中をうかがうのが上手で、相手がこわがっているとわかると、どんどん脅しをかけてきます。たとえ脅しをかけてきても知らん振りをしているのが一番です。もちろん、いたずらをしてはいけません。

∴いつでも芋洗いが見られると思って来ないで欲しい。動物園のショーではありません。

串間市観光協会より引用