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日南市

九州宮崎県

自然を守る神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日南市の神社

本五百○神社 いおし(旧郷社)

祭神:

大山津見神(おおやまつみのかみ) 伊東家祖先累代之

神霊

鎮座地:日南市大字楠原字寺之脇一番地

例祭日:七月二十六日

社殿:

本殿(流破風造)一七坪

拝殿(入母屋造)一二坪

境内坪数:二、四八二坪

創立年月日:水正八年と伝える

由緒沿革

氷正八年(一五一一)諸県郡本城に創建と伝え、天正十六年、伊東家飫肥城領主の初より那珂郡平野村に遷座し、その後正保二年(一六四五)同郡板敷村の中島田に藩費を以て社殿を建立、伊東家累代の霊を祭るとともに、上殿に応神天皇の御神位を戴き、石清水八幡宮と称した。伊東家代々社禄を寄付し、士民の崇敬篤い神社であった。明治維新に際し、応神天皇の神位は、同村板敷神社に合祀された。別に伊東家代々の菩提寺であった報恩寺が明治五年廃寺となった。『日向地誌』によると、報恩寺は飫肥初代藩主伊東祐兵(報恩公)のために建てられ、臨済宗妙心寺派の寺で、飫肥三大寺の一つとされ、寺禄百石を有していた。旧管下の士民、旧君累世の遺徳が永く絶えてしまうことを哀れみ、戸毎に銭を課出して一社を報恩寺跡に創建、八幡社の霊を遷座した。社名は、工藤祐経六世の孫、伊東祐持が日向に下り、治所を都於郡に建ててから、最後の藩主であった祐相まで、五百三十五年経ていたので、五百○、と祐相自らが名付けたという(○は祀と同じ意)。明治八年五月三十一日郷社に列せられ同四十年二月、

神○幣○料供進の神社に指定された。境内末社に稲荷神社があり、祭神は倉稲魂命。

神殿には祐兵が「朝鮮の役」につくした功績をたたえる「連川行」(れんてんこう)の届額が飾られ、境内左手には、断崖の自然を取り込んだ桃山式庭園がある。その庭の後ろに、織部灯龍と二体の仁王像に護られた伊東家累代の廟所がある。右手に三体の大きな層塔が目を引くが、これは洞林公祐実(飲肥五代)などの本墳で、奥まった左隅に、ローマ少年使節伊東満所の母「町の上」夫人の墓がある。最近、飲肥領内各地で、かくれキリシタンの証しと見られるキリシタン灯龍の発見が相つぎ、県宗教史上からも、注目されている。

例祭当日は、午前十時から総代以下参列し神事が行われるが、神前には、いずれも社宝である初代伊東祐兵着用の甲○と、藩の名将であった山田土佐守匡得が大友宗麟から贈られたという甲胃二領が飾り付けられ、焼酎を飲みながらの四半的大会と、荘重優雅な泰平踊りが祭りを盛り上げる。四半的は、藩政初期に山田匡得が少年たちの武術高揚のため広めたものといい、飫肥地方独得のものであったが、現在は、県下各地に広まっている。