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内心の自由と教師の権利·自由とは?

師が生徒の「内心の自由」を犯してはならないのは、なぜか?また、教師の権利·教師の自由について「教育の本質」との関係で説明せよ?

日本国憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」とあり、個人の内心にあるものの見方を広く保証している。これらの自由を否定する人々はいないのではと思う。前述は自由が著しく制限されていた戦争への反動、及び自由を国是とするアメリカの影響が非常に大きく、戦後はことあるごとに自由が強調され、憲法や教育基本法をはじめ様々な法律にも基本的な人間の権利とされてきた。

しかし、人間が持つ際限に欲望に対して抑制が希薄になってきている。学生の犯罪の低年齢化、悪質化(原因は不明化)んどは、これまでの自由という意識があるように思う。

海外では「宗教」という形で学校でも家庭でも地域社会でも機能(抑制·道徳の役割)している国々が多い。日本の戦後の自由の強調は、自由·気まま·身勝手を助長している一面が強く、古き良き時代の日本古来の道徳や長年の間培ってきた伝統的な形が傷ずつけられ、現在、自由(内心の自由)を見直す過渡期にあり、家族愛、地域愛、社会愛、祖国愛を踏まえて内心の自由について考える必要がある。

自由·内心の自由の定義は非常に難しく、自由の背景には必ず何らかの規制や枠組みがあり、抑制する仕組みが重要であり、自由·内心の自由と自分自身の心を抑制(理性·道徳)の中庸の心掛けが大切である。

具体的な生徒の内心の自由を侵してはいけない理由については以下の通りである。

主に思春期·青年期になると、今迄なんでも気軽に話していたことや相談してくれていたが、最近では会話も少なく口を閉ざす事が多くなり、子どもが何を思って行動していのか理解できない状態を耳にする事がある。これは自我が成長し、人間が自立していく過程で自立を孤立とは異なり、他者への信頼と協力·協調の感覚が前提としてあれば、このことだけでも子どもの自立の根を深く基づくことになり、あわせて自分だけが持つ秘密めいた部分が非常に重要であって、自立のためには必要不可欠な要素となる。

前述の秘密めいた部分を中心として自分の個性的な世界が見えて、視野が広がりをもってくる。親密な友達同士の関係であっても、常に自分の心の中に何らかの事柄を秘め取っておく必要があり、多くの場合、大切である事は、自分自身の中に何らかを秘めておくことが肝要である。なぜならば、この様な秘め事である内心の思いは、自分自身の自我の独特な世界を創造し、新たな世界を生み出すからである。この事は子どもの芽生えであって、心の成長を促すものでる。

例えば、秘め事が全くなく、自分の心の奥深くまで他人に見られ、他人に知られずに自分ひとりで自由にできる隙間が何もない状況になってしまえば、過度な依存状態に陥ってしまって、耐え難い人格を損失することになりうる。仮に母親が子どもに対して、隠し事はいけません、すべての事をありのままに話しなさいと強要すれば、子どもは何らかの問題(ストレス)が生じてしまう可能性が高く、反抗的になり、陰気になったりすることが危惧される。また、最近の青少年の犯罪の傾向として、低年齢化や過保護(おとなしい·まじま)の環境で育ったケースが増えている。自分だけの内心の自由をいとおしみ、育むことが更に求められ、自分の独特な世界を創造し広げながら、子どもは心身を向上させ飛躍していく、このことが、思春期·青年期である。特に成長期の子どもたちは、内に秘めた人知れず自分の悩みを持ち、秘め事も少なくない。このことが成長の基本となって悩みは成長の糧でもあり、子どもは基本的に信頼し待つ姿勢と同時に少し距離を置いて見守ることが大切である。主に思春期·青年期の心の発達は非常にデリケートであり、内心の自由を見つめる気持ちで見守ることが子どもの成長を育む大切な要素である。

教師の権利·教師の自由と教育の本質の関係は以下の通りでる。

教師が教育を実践する目的は、子どもに自由な精神を育むことでもあり、教師が学問を深める力量の心をもっていなければならない。また、学問は自由な心によって教育の実践が確保され、初めて子どもたちの心も自由な心を育むことになる。従って学問の研究などは教師の権利である。一方、教師の自由や権利はどこまでなのか、その定義は何なのかを考える必要がある。

教師の教育の自由とは、教育という事柄の本質によって規定されなければならない。教師の自由は、子どもの発達と学習の権利を確保し保証するものであって、子どもの発達に見合った学習を保証することが教師の責務である。この責務の目的のために、学問や研究に裏づけらけた教育の自由が要求されている関係があり、何でも好きなこと事を教えても良く、何をやっても良いという自由とは全く異なった性質である。このことは子どもの発達と学習の権利に沿って規定された教師の自由を方向付けられた自由であり、教育の自由が、実質を保障し、学問の自由を位置づけている。

教育基本法の二条では「教師の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において現実されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際学生に即、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」とある。この目的を達成するためには、学問の自由が保障されていなければならず、ひとり、ひとりの精神の自由が確保されている必要があり、また、教師の権利も同じである。従って教師は学問を訴求し続けなければならない。

「日の丸·君が代」と「道徳教育」の問題がマスメディアにも、よく取り上げられており、基本的な原因は、自由な内心の自由の背景にある自分自身を抑制する何らかの畏怖や枠組みが希薄になっており、内心の自由も希薄になっていると感じる。心の問題は、低年齢の頃より、自然の中で情緒的な教育が内心の自由を慈しんでいく第1歩であり、今後、教育のニーズとして求められる。

·参考文献·

·「教育基本法はどこへ」、堀尾輝久著、有斐新書、1989年

·「教育入門」、堀尾輝久著、岩波新書、2000年

·「生徒指導と学校カウンセリングの心理学」、前田基成·沢宮容子·庄司一子著、八千代出版、2007年2月

·「教職入門教師への道」、吉田辰雄·大森正著、図書文化、2009年1月

·「国家の品格」、藤原正彦著、新潮書、2006年2月

·「教育原理」白井慎·花香實·吉沢常雄著、法政大学、平成2年2月