環境エコロジー

日南市の情緒的町づくりを支援するサイト

日南市

九州宮崎県

 

内心の自由

教育課程論

諫早湾干拓工事と有明海

三内丸山遺跡

日本の気候区分

ドマンジョン都市発展と衰退

日本の水を取り巻く環境

若者の政治 ·社会意識の現状

アパルトヘイト(人種隔離政策·差別)

生活指導(生徒指導)の役割

三圃式農業と隠岐諸島農法

アリストテレスの倫理学

デカルトの倫理学

 

アリストテレスの倫理学の要点

古代ギリシア時代のエチカから現在のエチカを思う

アリストテレスの倫理学の核は善について問うものであり、人間の行いだけは倫理学の対象とはならず、人はいろいろな現実を踏まえ、物事を決定し、決定した事に従って行為を選択していくとしている。

物事の決定や選択は多種多様な目標が生じてしまい、どのような技術や研究も、また実践も全て何らかの善きものを追及していると考えている。

目標にしたがって、人々は色々な意味で善を考慮し口に出して表現している。

しかし、当面、問題となる行為が対象としているものに対し、この行為がなされている善である。

また、ある善が他の善を達成するための手段になっているという事情もありうるので色々な善の情況の中で、人々のあらゆる働きをおおうところの目的が最終目的として追求する必要があり、別の言葉で表現すると最終的な善と捉えることが出来る。

最終的な最高善はプラトンが考えたイデア界には存在せず、また色々な善から抽象された、これからの共通な普遍概念として存在していない。最高善は行為が対象としている善とするならば、実際に人々の実現できうる膳、人間的な善である必要があるとしている。

前述のような善は何であるのか、また、どんな学問や能力の領域に属しているのか、このことを問い核心を見出す必要があって色々な能力の間には従属があるとしている。善は人間の能力や学問の中で最も主導的な能力や学問を取り扱うことになり、これらの能力や学問は政治の能力や学問としている。政治は何かを行い、何を行うべきではないのかを立法するものなので、目的は諸学の目的を包括しなければならない。

従って人間的善が政治の究極の目的である必要があるとしている。そうすると政治の追求する善、達成すべき全ての善の中で最上のものが問われ、中身はともかく、殆どの人々は幸福と考えるが、この幸福とは何であるのかという疑問が生じてしまう。この疑問は以下の通りとしている。

主要な3通りの生活(享楽的、政治的生活、観照的生活)から3つの価値(快楽、徳、哲学的洞察)を引き出し、これらが一緒になって幸福な生活に関連してくると考えており、このことからアリストテレスの倫理学の礎え、となっている。

政治は主導的な学問、能力であって最高善を訴求し、善と個人の求める善とはどのように関係しているかは、アリストテレスのよると、善は個人にとっても国家にとっても同じであるとしているものの、種族や国家社会にとっては、善の実現は個人の場合以上に高尚で神的であるとしているので社会倫理学といえる。

共同体は個人の総体で具体的に依存しているのは個人であるとしており、そしてそのいきつくところは個人の幸福でないような幸福は現実には存在しておらず、概念としてだけ存在しているものなので、個人を犠牲にして獲得されるような共同体の善はありえないと考えている。この考え方の基本を探ると人々は目的論的哲学を観があることになり、全ての存在は自己の完成を目指している。またそのための運動原理を内臓しており、倫理的な卓越性ということを目的としている。

しかし、人間の本来は社会的動物とされているので、人間の目的は社会においてのみ実現される。これは人間の家族、村落という小集団において各々に見合った目的を実現するものであり、都市国家という完全な集団では目的を実現する。また人々に階層があるならば、個人の実現できる目的の程度も階層に依存してしまう。

アリストテレスは実践知をもっている人を一種の理想的な人間というように考え、どんな場合でも憎むべき行為、劣悪な行為をしないとし、後悔するなどは考えられない人と考えていた。倫理学は前述の理想的人間を色々な角度から捉え分析している。理想的人間像は人間的善を完全に実現化しているのでアリストテレスの倫理学は諸性質を価値と認めている点から自然主義ともいえる。一方、色々な場合の行為の仕方の中で最も良い行為を選び、これを積み重ね習性する点で見ると、特定の場合での特定の行為の仕方を決定し、選択する必要があるので、それなりに能力を必要とし、倫理学には直覚主義ない一面もあるが価値の存在を認めている。

アリストテレスは理論理性の方が実践理性よりも優位に考えて観照的活動を至高なものと捉えていた。観照は倫理的学と実践的学が深く結びついており、本来全ての人々は何かを知るたびに学び色々な物事に関連しているものの、理論的は抽象的で不動であるものに関連するか、運動原理を内臓しているものに係ってしまう。一方、実践的知は運動原理を他のうちにある人間の意志や能力のうちに運動の原理をもっている物事に関りあるものを変化させたり、運動させたりすることは実践的知の問題となり理論的知の目標とはならない。このことは倫理的知の仕事はあるがままの存在を直視することになり、前述の目標は存在するものの真の姿を捉えることで真なる直観に到達することである。これを観照としている。

観照生活は、存在者の真を直観する生活であり、凄まじい科学的精神としている。人格神を信仰と恍惚の状態で神の栄光をたたえているとは違い、存在者をおおいかくしている。ものをはぎとり、その真を露呈することででもあって、観照こそが人間の魂の中で最も卓越した部分の活動となり、幸福活を表している。

アリストテレスの倫理学は、自然学、天体論、気象学、宇宙、霊魂論、動物誌、政治学、家政学など多岐の研究などから生まれ、ギリシア国家、ソクラテス、プラトンの影響が大きい。

参考文献:

·「二コマコス倫理学」、岩波文庫、2009年12月9日、高田三郎訳

·「アリストテレス」、清水書院、2000年10月30日、堀田彰著